死生観というものが自分の中にあるかどうか、考えたことはあるでしょうか?若い人でも考えられるものですが、特に高齢者の方などはこういった考えを深め、どんな人生の終わり方にするかをイメージします。今回は、死生観がどういったものか、そして今考えるべき事などを解説します。
死生観の意味とは
そもそも、死生観という言葉自体どんなものか、曖昧な方も少なくないでしょう。何となく考え方の1つというのは想像できても、その具体的な内容や、実際に考えたことのある方というのもそこまで多くないかもしれません。
簡単に説明すれば言葉にある通り「生」と「死」に関する考え方を指すものです。死というものが生きとし生ける誰にでも、どんなものにでも訪れると前提を立て、どのようにして生きるかの思考、思想です。
思考した結論に関しては個々人が信仰している宗教によって左右されるところが多いです。ただ、生の世界は今あるこの世界だとしても、死後の世界というのは未知数と言う他ありません。
しかも、日本というのは外国とは違って特定の宗教を信仰しない、所謂「無宗教」の人が多い国でもある為、宗教を考え方の土台として影響を受けた方はあまり多くないと言えるでしょう。
更には、わが国日本は世界でもトップレベルの長寿国とされており、男性でも女性でも平均寿命が80歳を優に超えている状態です。2060年には、女性の平均寿命が90歳を超えるとも言われるほどです。
昨今では「終活」という言葉も流行ってきている通り、自らの死に対して準備をしたり考えたりする方も以前に比べて多くなりました。よって、死生観を具体的に思い浮かべるのは、日本でも必要と言えるものなのです。
死生観を持つことのメリット
勿論、この死生観を持とうと持たなかろうと、どちらにしても平等に死というものは訪れるわけですから、持たないから、考えないからと言って弊害も問題も生じません。ですが、メリットがあるのも事実です。
死生観を持つメリット①死に対する不安や恐怖心が軽減
まず1つは、死に対しての不安、恐怖心を軽減させられる点です。自分に関してももちろんですが、家族などの近しい人たちの死を如何な形で受け止めるか考えて、漠然と誰もが有する不安、恐怖を少なくさせられます。
死生観の解説の中でも述べた通り、誰でも自分や家族をはじめとした親しい人が死んでしまうのは、悲しかったり不安や怖さを覚えるものです。死後の世界を知らないなら、未知のものに対して不安がるのも当然の話です。
しかし、あらかじめ「死」という不確定で知らないものに対して、完全には理解できないのはもちろんです。それでも事前に考えておけば、個々人がこの世を去るという終着点と向き合えるとも言えます。
完全に不安も恐怖も無い状態であの世へ行かるかと問われても、それは難しい話でしょう。その点、個人が死への考えを多少でも構築すれば、無駄に死を怖がるよりもよっぽど良い部分があるのもまた事実でしょう。
死生観を持つメリット②今やるべきことなどが明確になる
続いて、生きている今やるべき事を明確に具現化できるメリットもあります。死生観では、何もどんな終わり方をしたいかだけを思考するものではありません。
今生きている人生を充実した余生にする為にも、何かの機会に死生観に関して考えるのは決して無駄ではないのです。やりたい事リスト、やり残したことリストなどを作るというのが特に具体的な方法です。
今までの人生を振り返ってみて、あの時始めておけばよかった、などと後悔している事を、リストとして書き出すのです。挑戦する事はいつだって遅くありませんので、リストになった物を今後の人生の中で実践していけます。
死生観を持つメリット③残される家族の不安も軽くする
そして、自分だけでは無く残される家族の側の不安を軽くする事も出来ます。自分が死に対してどんな考えを持っているのか、そしてこれからの人生をどう生きていきたいかを考え、それを家族と共有するのです。
単に自分の頭の中だけでこれらを思い浮かべ思考するだけではなく、家族に対してそれらを共有すれば、どのような最期を望んでいるのか、その為にこれからどうしたいのかが明確に伝わります。
昨今では終活という言葉も使われるようになった中で「終活ノート」というものも出回るようになりました。こういった形で誰もが分かるように共有ができれば、家族もより当人の死生観が分かりやすくなるというものです。
残される家族の身になってみれば、身内が亡くなるという事はとても悲しいものです。だからこそ、生前に死生観をしっかり把握できれば、その不安を少しでも軽くさせられるという訳です。
【死生観を持つにあたり考えておきたいこと】最期を迎える場所
自分が最期を迎える場所を考えた時、どこに居るか想像はできるでしょうか?自宅なのか、病院なのかなど、選択肢はいくつか存在していますが、それぞれに利点と欠点が存在していますので、まず場所について考えてみましょう。
場所①自宅
まずは、自宅です。これまで自分が長年暮らし続けてきた家を最期の場所として選択できるわけですから、精神的な安心感は非常に高いものとなっており、それが最も大きな利点と言えます。
また、一人暮らしの場合には難しいですが、大抵は家族に見守られつつ最期を迎えられる可能性の方が高い訳ですので、人生の終わりには自分の家族に看取られたい、といった選択を取る方も多いことでしょう。
家族が見ているのは間違いないですが、これからご紹介する病院や介護施設等を利用した場合のように、医療従事者が24時間体制で自分を見てくれている訳ではありません。
もし家族に医療関係者がいる場合にはとても理想的かもしれませんが、大抵はそうはいきませんので突然の事態急変の対処は難しく、また家族の介護を行う負担もかかりやすくなるという点は注意が必要です。
場所②病院
続いて、病院になります。おそらく人生の最期を迎える中で病院を選ぶという方はとても多いかと思われますが、医師、看護師など医療の専門家が常にいますので、自宅とは異なり容体が急変した場合の対処も迅速にしてもらえます。
自宅の場合には自分の容体が急に変わった時等にはすぐに対処してもらうのがとても難しくなっており、パニックになることも考えられます。その点、病院ならすぐに専門家の手を借りられるという大きな利点があります。
こういった利点がとても大きいために病院が最後の場所として選択されるケースが多い訳ですが、一方で病院には面会時間というものがあり、家族がずっと一緒に居られるわけではありません。
となると、最期を必ず家族が看取ってもらえるとは限りませんので、孤独さを感じながら人生を負える可能性があるかもしれない点には注意するべきでしょう。
場所③介護施設
病院ではなく、介護施設を最期の場所として選ぶ、という選択肢もあります。誰もが知っている通り、日本は少子高齢化によって介護の需要も高まっており、各地に様々な介護施設が敷設されるようになりました。
サービスも種類も非常に豊富にある中で、看取り介護といって入居者が最期を迎えるまでサービスを行っている施設も存在しており、病院に並んで介護士等のプロフェッショナルによる手助けを受けられます。
自分がどんな最期を迎えたいのか、といった死生観に関する部分についても当人の意思を尊重してもらえますし、他の入居者とのコミュニケーションも取れるので、孤独を感じにくいといったメリットもあります。
ただ、自宅を選んだ場合と違って完全に自由な状態で過ごせるという訳ではありませんから、サービスの幅が広いとは言ってもすべて望み通りとは限りません。
場所④ホスピス
もう1つ、ホスピスという場所も選択肢として挙げられます。これは、病気等の症状の度合いによって積極的な治療を医療や介護の面から行うのが難しいと判断された場合、身体的、精神的両面の苦痛を出来る限り取り除くケアの方式になります。
延命のための治療を行うのは難しいですが、そもそも根本的な病気等の治療を目指すものではなく、あくまでも生じている苦痛を緩和してもらいながら最期を迎えるという方式になるので、病状が重いという場合には選択肢に入ってきます。
基本的には病院、そのほかの施設に入るという形が採られますが、体調が悪くないのであれば自宅への外泊という形も取れますので、体調によって気分転換も行えます。
ホスピスという形式自体が重い病気を患っている方の為の措置なので、悪性腫瘍、末期状態のガン、エイズといったようによく知られている大きな病気の患者と対象は限定されます。
【死生観を持つにあたり考えておきたいこと】尊厳死・安楽死について
最後を迎える場所まで考え、その選択肢もいくつか存在するという事で、思っている以上に意味する内容が多角的なものと感じた方も少なくないでしょう。そこで覚えておきたいのが、尊厳死、安楽死という概念に関してです。
尊厳死について
通常人生における終末期医療において、本人の合意の下で過度な延命治療を行うことなく、医者など他人が手を加えない形で最期を迎えるのが尊厳死に該当します。
後に解説する安楽死と比較すると、患者の有する疾病に完治の余地が無い点、そして本人の意思によって延命治療をしない点は共通なものの、あくまでも患者本人の生命力が尽きるのを待つのか、手を加えるのかが大きく違っている点です。
これに関して、具体的な法律については今の段階では明確なものが定められてはいませんので、治療が難しいと判断されたとき、過度な寿命の引き延ばしをせず天寿を全うさせる形は、医療においても主流とされています。
勿論、こういった形での最期を迎えるか否かは当人、家族の意思を踏まえて判断される事であり、これをもとにして医師が当人にとっての最良の最期を関係チームと協議して決定します。
先に述べた安楽死が故意な死、すなわち積極的な死とも言えますが、日本ではそれをサポートする安楽死がいまだ認められていない一方、超高齢化社会とも言われる日本ではこの尊厳死という選択はとても大きな存在といえるでしょう。
安楽死について
尊厳死は延命治療を過度に行わない、もしくは植物状態となった場合に延命措置を中止して、自然死を迎えさせるというものでした。これに対し安楽死は、耐えがたい苦痛がある治療困難な患者に対し、医師あるいは患者当人が薬物等を用い死期を早めるものです。
先に解説した尊厳死も、この安楽死についても治療が見込めない患者の意思を尊重し、治療を積極的には行わないという点は同じです。しかし、大きな違いは安楽死が薬物投与などを行い、死期を積極的に早めている点にあります。
日本国内では安楽死に関しては認められておらず、実際に行った場合には自殺幇助、または殺人として有罪となってしまいます。対して、世界ではスイス、アメリカのオレゴン州、オランダなど、安楽死を認めている国もあります。
特にスイスでは1942年からともっとも古くから安楽死が国で認められていて、過去には数年間に数十か国から重い病気を患っている方が安楽死を遂げるためにスイスへ入国したとも言われるほどです。
2000年代以降もオランダ、ベルギー、アメリカの一部の州といったように安楽死を合法化する政策は広まっており、世界的にも徐々に安楽死自体が認められる流れは存在しています。
その一方、老老介護で先行きが見えない、障がいを持ったままで生きづらいといったように、身体的苦痛というよりは精神的な苦痛を原因として安楽死を選択する人もいるのが事実です。
死期が近く治る見込みもない中、尊厳死を選ぶというのは基本的人権で認められています。ですが、安楽死に関しては上記の通り国の文化や歴史背景によって異なり、日本ではまだ認められていません。
【死生観を持つにあたり考えておきたいこと】やり残したことを考える
最後の迎え方というものを考えるにあたって、尊厳死や安楽死というものが存在し、いまだ議論がされている分、自分が本当に臨んでいる人生の最期の迎え方が絶対にできるという確証はありません。
しかし、だからと言って全く死生観を考えないよりは、ある程度考えておいた方が良い事は、メリットの中でも述べた通りです。そして、今やるべき事を明確化する、という利点がありますが、この点について深く考えてみましょう。
手順①人生を振り返る
まず、これまでの自分の人生を一度振り返る時間を作ってみてください。生きる事と死ぬこと、そして自分の人生を考えた時、やり残したままでは死んでも死にきれなさそうな事、後悔しそうなことを考えてみましょう。
一人一人に長くも短い人生があるのですから、これまでの1つ1つの体験と経験を振り返るのです。とても嬉しい事があった時もあれば、逆に非常に悲しい、悔しい経験をしたこともあった筈です。
この振り返りの中で大切なのは、そういった事を1つずつゆっくりと思い返すことで、新しい欲求ややり残したことは無いかを見つけるというものです。それに気づければ、自分の残りの人生でやりたい事、満足度を高める方法が見えてくるでしょう。
ポイントは、何となく振り返るのではなく、1つずつの体験を出来る限り鮮明に思い出せるよう、時間をかけて振り返ることです。先にある余生を謳歌するために、まずこれまでの過去をじっくりと見つめ直すことから始めましょう。
手順②やり残したことを書き出す
そして、やり残したことを書き出す作業に移ります。人生を振り返る段階の中で、やりたい事、やりたいと思っていたことというものが、誰しも1つや2つは浮かんでくるものだと思われます。
勿論、今が充実していてやり残したことが全く思い浮かばないという方もいるかもしれません。そういった方は無理にひねり出す必要はありませんので、今でなくとも今後見つかればそれでも十分です。
やり残したことを思い出すだけではなく書き出すというのは、アメリカでは「バスケットリスト」とも呼ばれているものであり、浮かび上がってきたらなんでもいいのでそれを書き出すのです。具体的には、以下のような物が挙げられます。
- 日本を一周してみたい
- オーロラを見たい
- スカイダイビングがしたい
- 子供や孫と出来るだけ一緒に過ごしたい
- 両親の墓参りに行きたい
- 飛行機のファーストクラスで海外へ行きたい
- 学生自体の友人と会いたい
おそらく思い浮かぶものは、すぐにできそうなものもあれば実現するのに時間がかかるものもあるでしょう。そういった点も考慮して分類を行い、優先順位をつけてみてください。
このバスケットリストと呼ばれているものは、何も死期が近づいている人だけが作るべきものではありません。若い人が今の内から作っておくというのも、今後の人生をよくするためにもとても有意義なものになります。
手順③実現できることから実行する
やり残したことの中で実現可能なものと難しいものに分け、優先順位付けをするのはどこから手を付けるべきかを明確にするためです。満足度の高い人生を完成させるためにも、これは重要なポイントです。
実際、幸せな余生を送るコツとしても、リストの中ですぐに実行が可能なものから手を付けていくのが正しいとされています。お金の話をすると、近年では「DIE WITH ZERO」という考えが取られ始めています。
これは、自分が亡くなるまでに保有している財産を使い切るというものであり、多くの人が亡くなるまで何となくお金を貯め続けて、結局使わないままに死んでいくといったケースが見られたためです。
誰しも自分が死ぬタイミングというのは予期できないものです。だからこそ、老後の生活の為として貯蓄をし続け、生活コストを下げるといった取り組みをするのは、致し方ない部分もあるでしょう。
しかし、裕福な人は退職時の資産のうち9割近くを使わないままに亡くなる、といったデータもあるほどです。となれば、残った資金は自分の為ではなく残された家族へと相続されます。
家族の生活のために使用するのももちろん選択肢としてよいでしょう。ただ、上記のやり残したリストがあるというのなら、自分を優先して自分の為に資産も時間も使っていく方が、より価値と意味のある余生となる筈です。
死期を意識する前に準備しておきたいこと
死生観を持つことは、年齢を問うことなく誰であっても意味があるものです。ただ、特に老いを実感して自分に死期が迫っていると、身体的にも衰えが明確化するのでままならない状態に嫌気がさすかもしれません。
医療が発達し、老後の生活が長期化している現代では、充実した余生を過ごすための意識や工夫が大切であり、自分や身の回りが後悔しないためにも色々と生きているうちから準備をしておきましょう。
身元引受人を決める
まず、身元引受人を決めるというものがあります。介護施設や医療機関が終末期の最期の場所としても選択肢に含まれていましたが、多くの場合には入所、入院をする際に身元引受人を立てる必要があるのです。
ある人の身柄に責任をもって引き取り、監督できる方というのが身元引受人に該当しますが、介護や医療の場合においては万が一その人が亡くなってしまった時、その後の対応を引き受ける人という意味になります。
突然危篤状態となり、息を引き取ってしまった際には遺体の引き取り、および葬儀の手配等を行いますので、必要な存在です。ほとんどは本人の親族が引受人を請け負うことになります。
ただ、昨今は少子化に伴って独り身の高齢者というのも多いために、身元引受人が見つけられない、といったケースも無いではありません。こういった事例を鑑みて、民間団体が身元引受人を請け負うケースもあります。
緩和ケアを望むかどうか
続いて、緩和ケアを自分が望むかどうかに関してです。まず緩和ケアとは、人命に関わる病気を患っている患者と家族に対し、身体的な痛みやその他の精神的苦痛を取り除く、まさしく緩和するための医療行為です。
緩和医療とも称され、病気の根本的な治療を目的とせず、あくまでも緩和のみに努める形となりますので、今回ご紹介した尊厳死にも通づる部分があると言えるでしょう。
これは、クオリティオブライフ、すなわち人生の質を高めるのを向上としているところもあります。基本的には専門家によるチームも組まれますので、家族も併せてどういったケアをしてもらうのが一番良いかを考えていきましょう。
家族と死生観を共有する
もう1つ、家族と自分の死生観を共有しておくのも大切です。メリットの中でも述べましたが、生きているうちにどんな最期を迎えたいのかを考え、それを家族などと共有するのは、お互いの不安を解消するためにもとても効果的です。
実際に共有する際には、本人の希望項目を紙に書き出しておくべきとされています。記憶を頼みにしていると、時間の経過によって曖昧になってしまいますし、重要性を理解してもらえる最後の我儘でもあります。
だからこそ、やり残したことを書き出して残しておくことも同じように大切であり効果的といわれるのです。死生観をまとめられるうちに形にして、家族と共有しましょう。
死生観を持ち幸せな人生の最期を迎える終活をしよう
どんな風に自分の人生の最期を迎えたいかは人それぞれであり、穏やかに眠るような最期を迎えたい、という方も居れば、死の直前までぴんぴんしていて、突然死ぬ方が良い、といった考えもあります。
人によって違っているからこそ、事前にどんな最期にしたいかを考え、家族等と共有するのが大切になってくるわけですから、是非とも残された時間をより良くするためにも考えてみてください。